おもいついたことをただ書く

公開こそしてるけど、どうせ誰も見ないから、バカッターの仲間にならないことだけ気をつけて適当に書くブログ

確定拠出年金&積み立てNISA備忘録 2022

確定拠出年金

現在の拠出割合

  三菱UFJ国内債券インデックス 30  
  三菱UFJ国内株式インデックス 20  
  フィデリティ・日本成長株 20  
  みずほ信託外国株式インデックス 30  

 

現在の時価構成比と評価損益比

  三菱UFJ国内債券インデックス 27% (+0.2%)
  三菱UFJ国内株式インデックス 21% (+21.4%)
  フィデリティ・日本成長株 19%

(+17.4%)

  みずほ信託外国株式インデックス 33% (+45.3%)

 

配分の±5%以内に収まってるからリバランスは見送りでいいかな?

んーでもあれね、フィディリディ日本成長株はアクティブなんだけど、

インデックスよりプラス幅が少ない。やっぱりインデックス一本の方が良いのかな

来年もこの傾向ならスイッチングで国内株式インデックスに全部一本化しても良さそう

 

 

★つみたてNISA

 

2月分からは

ニッセイバランスファンド 30%(国債がわり)

残り70%を

日本株:先進国:新興国株を1:8:1の割合に配分(全部emaxisslim)

 

積み立てNISAは税金優遇や年40万の枠があるので、スイッチングは禁止

それを考慮するとリバランスは以後の購入配分をいじる以外はできない

 

ぶっちゃけ全部バランスファンドの方が見た目はきれいだよなぁ

信託報酬が高く付くのを悪いと見るか、自動でリバランスしてくれることの報酬と見るか...

文字に起こすと積み立てNISAはemaxisあたりのバランスファンドにした方がいい気がしてきたぞ...

ただ考えるの面倒になってきたから半年か来年の俺に任せよう

ファンレター

p-shirokuma.hatenadiary.com

 

p-shirokuma.hatenadiary.com

 

上二つの記事はシロクマ先生の2016年に執筆された記事です。

一つ目の記事はやや過激に、勢いに任せて書いたような物を感じます。

そのせいか、翌日の記事には若干の軌道修正ともとれるような記事。

自分の印象に残っていたのは二つ目の「誕生日は~」の方の記事です。

というのも、自分がtwitterのサブ垢で、「生涯現役」の記事に対して

年寄りを皮肉ったようなtweetをした翌日に「誕生日」の記事を書かれていたため、

自分のtweetへの返信のように思えてしまったからです。

(実際はたまたまかもしれませんが、そう思い込んだ方が

自分にとって幸せだったので、それ以上深く追究していません)

そんなこともあり、約5年経った今でも年齢を重ねることをレベルアップと

例えていたことはなんとなく覚えていました。

 

blog.tinect.jp

 

その上でちょうど今日読んだ記事が5年前の記事と比べて、

年を重ねる事への見方が少し変わっているように思えました。

 

 

以前のシロクマ先生は感性が20代のまま止まってしまっている中年、壮年を

忌避されているというか、「年相応の振る舞いをするべき」、

という考えを持っていたと思います。

少なくとも自分は、シロクマ先生の記事や書籍からそう感じ取りました。

5年前の記事を改めて読み返しても、年を重ねて生き続けることへの尊敬はある一方、

いくら外面やライフスタイルを若作りしたって、また、健康調査で良い成績をおさめているからといって、60歳は60歳、70歳は70歳です。

という記述や

子どもの頃の誕生日にはちょっとしたお祝いがあったので単純に嬉しかったが、思春期を迎える頃には「年を取ってしまう日」として嫌悪していたし、20代後半は「三十路を迎えるまでの地獄のカウントダウン」だった。30代後半? 聞くまでもなかろうよ。

と言った記述もあり、あまり年を重ねること自体に対しては

好印象を抱いているようには感じられませんでした。

若者から老害と呼ばれるような存在になりたくない、という意識でしょうか。

年を取ることで若いときと同じようには趣味を楽しめなくなる、

と言った趣旨の言及もずいぶん昔からされていました。

さすがに記事を発掘する気は起きないのでしませんが、

子供とダライアスを楽しんだ記事などもあり、

年を重ねた自分がでしゃばるのでなく次の世代に繋ぐんだという

意気込みもまたシロクマ先生からは感じていました。

 

一方で、今日掲載されたBook&Appsの記事では

今、私のなかで一番優勢な気持ちは「絶望する暇があるなら、心を、身体を動かせ」だ。

四十代の残りの時間、それと五十代前半の残りの時間を、ラストランのつもりで力いっぱい駆け抜けてみたい。

と、5年前の記事に比べるとなんというか前向きな気持ちを感じます。

バイタリティ溢れる人を羨むのでなく、

シロクマ先生自身もそのバイタリティを見習って目指して向かっていくような気持ちなのだろうと感じました。

シロクマ先生が全力で駆け抜ける一瞬一瞬が素敵な時間であることを祈ります。

 

そんなシロクマ先生を見ながら、自分も全力で一瞬一瞬を駆け抜けるよう

過ごせたら良いな、と感じました。

確定拠出年金 備忘録

リバランス実施

投信の本によると基本的にインデックスファンドにぶっこむだけが一番勝率高いと言う

手数料を低くするためUFJバランス安定(言うても0.3%台でアクティブに比べれば低い)を国内株と国際株にスイッチングで振り分けた

国内株はアクティブをこれまで買ってたので全量パッシブに変えようかとも思ったが、過去5年常にアクティブがパッシブを上回っていたのでとりあえずアクティブ半分パッシブ半分で国内株買うことに

最終的に
パッシブ国内債券 30
アクティブ国内株 20
パッシブ国内株 20
パッシブ外国株 30

の割合になるようスイッチング
翌月以降の拠出も上記割合にした

健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて 第3章感想

前回の記事で編集で後付けして感想を足す、と書いたけど

時間経ちすぎてるので新規で記事を起こした方が良いかなと思ってこちらを立ち上げ

 

なんと、今回はPCからブログを書いている!

学生時代にmixiとかGREEで日記書いてたとき以来は言い過ぎかもだけど、

PCからブログ記事に近い物を書くのは相当久しぶり。

 

まぁ、前置きはさておき。

3章では、時代の流れとともに価値観が変わっていることを紹介していた

昔は格好良さの象徴だったタバコが今は嫌われ者になっている、とか

健康に意識を向ける人がほとんど居なかった時代から、

「健康でなければいけなくなった」と。

 

実生活を省みると著者の熊代先生の言う通りになっていると感じる

例えば自分はまだ30代だが、健康診断でちょっとした数字の異常があると

会社からは精密検査を受けるよう指示が出る。

自分事以外の社会的な変化では食品の表示が今年の4月から変わっている事にお気づきだろうか

(※もう少しきちんと書くと改正した食品表示法の施工が今年の4月1日からだった)

今まで、成分表示でナトリウムの量を記載していた部分は

「食塩相当量」と記載するよう改められている。

 

コロナのように急に社会情勢が変わることももちろんあるだろうが、

食品表示のように気づいてない人もいるであろう変化も多々あると思う。

そうして真綿で首を絞めるように価値観が変えられて、

いつの間にか「健康でなければいけない」というような価値観に変わっていくのだろう

 

あと、熊代先生は3章で死が身近なものでなくなっている事に言及している。

ちょうど最近twitterで話題になった「7日後に死ぬカニ」にこんな記述があるのが印象に残った。

 

「ほぼ毎日、死に触れている」

note.com

 

まさに、通常は死が身近でないことを端的に表している。

 

死が身近な世界というのは、「良くない」世界のように思える。

だが、実際は臭い物に蓋をしている遠ざけているだけのようにも思ってしまう。

 

 

 死を遠ざけ、健康で無い人間を遠ざけ、幸福で無い人間を遠ざける。

日本では今、生まれる人よりも死ぬ人の方が多い。

健康で無い人間だって少なからずいる。

幸福を感じていない人間だっているだろう。

 

今の社会の不自由さは、人々の価値観や行動の強制もそうだけれど、

見たくない物を隠してしまっているような社会にも感じる。

 

 

 

 

 

 

 

PCから書くと記事の埋め込みとかできて「ブログ」を書いている感じがあって楽しい!

健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて 感想

Twitterアカウントでちまちま感想かいていこうかと思ってたけど、こっちにかくことに

少しずつ読み進めているので、1つの章を読み終えるごとに感想を書き足していくスタイルを目指したい。
ただ、何にしてもスマホでポチポチ書く記事じゃねえなこれ。


一章
周囲の親になった人たちも自身の子どもを自主性を尊重して育てようとしているのを感じるし、能力の高い人材を社会が求めているのも分かる。一方で友人や知人、恋人などの人間関係すら自己責任で選択しなければならないというのは自分には欠けていた視点であった
思えばSNSなら人間関係の構築なんてボタン1つでフォローの解除やミュート、ブロックができる。居心地の良いタイムラインを作るように心がける事は自己責任で人間関係を構築することの延長に思える。

二章
章末に載っていた同心円の図について、1つの階級というか格差のように感じられた。
社会は中央に位置する人間を求める。(もちろん、秩序への適応に問題がないだけでは、足りないが。)
同心円の外側にいる人達とは、そもそも、社会の要求するハイクオリティな労働者という水準には遠い存在だ。秩序に適応できない人間とは、高給な仕事に就くのが難しいどころが、障害者雇用福祉的就労でないと仕事に就けなかったり、そもそもどのような形であれ就労が困難な人達と言うことだ。
秩序への適応できるか否かを示す同心円から離れた存在は、互いを日常の生活で見かけることすらない存在となると思う。結果として、秩序への適応できるか否かが、社会の格差を表すものとして自分の目に映った。

おきにいり

久しぶりにログインしたら何故かおきにいりに入れてもらってたのだけど、どの記事をよんでおきにいりに入れたのか分からないし、恐らくbot的な何かだとおもう。


一瞬だけよろこんでしまったじゃないか
万一botじゃなかったらすみません

表現の不自由展

コンセプトは理解できる。
なんらかの理由で展示できなかった作品を展示する。面白い企画だったからこそ、2015年に行われた企画を改めてやってみようということになったのだろう

ただ、いくつか疑問も感じる



1 表現の不自由展はあいちトリエンナーレでは展示するべきはないのではないか
表現の不自由展はコンセプト内容に反体制的なコンセプトというかロックなテイストがある。そういうテイストの展示を公費が使われるあいちトリエンナーレで実施することには個人的には疑問を感じる。2015年のように民間が自費で展示する分にはここまで言われないと思う。

2 そもそも少女像は芸術作品なのか
強烈な政治メッセージを感じる、じゃなくてただの政治プロパガンダ作品にしか思えない。政治的な意図のみで作られたとしか思えない作品を芸術品、と言われると個人的には納得できない

3 日韓関係が過去最悪に悪化してるなかで展示するというタイミングが悪い
これに関しては展示を決めた人たちは悪くないと思うが、ホワイト国からの削除でざわざわしてる中での展示はそりゃあ皆敏感になるでしょう
この企画展が去年の今頃だったらここまで炎上しなかったとはと思う。


とりあえず、こんなもん?