おもいついたことをただ書く

公開こそしてるけど、どうせ誰も見ないから、バカッターの仲間にならないことだけ気をつけて適当に書くブログ

健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて 感想

Twitterアカウントでちまちま感想かいていこうかと思ってたけど、こっちにかくことに

少しずつ読み進めているので、1つの章を読み終えるごとに感想を書き足していくスタイルを目指したい。
ただ、何にしてもスマホでポチポチ書く記事じゃねえなこれ。


一章
周囲の親になった人たちも自身の子どもを自主性を尊重して育てようとしているのを感じるし、能力の高い人材を社会が求めているのも分かる。一方で友人や知人、恋人などの人間関係すら自己責任で選択しなければならないというのは自分には欠けていた視点であった
思えばSNSなら人間関係の構築なんてボタン1つでフォローの解除やミュート、ブロックができる。居心地の良いタイムラインを作るように心がける事は自己責任で人間関係を構築することの延長に思える。

二章
章末に載っていた同心円の図について、1つの階級というか格差のように感じられた。
社会は中央に位置する人間を求める。(もちろん、秩序への適応に問題がないだけでは、足りないが。)
同心円の外側にいる人達とは、そもそも、社会の要求するハイクオリティな労働者という水準には遠い存在だ。秩序に適応できない人間とは、高給な仕事に就くのが難しいどころが、障害者雇用福祉的就労でないと仕事に就けなかったり、そもそもどのような形であれ就労が困難な人達と言うことだ。
秩序への適応できるか否かを示す同心円から離れた存在は、互いを日常の生活で見かけることすらない存在となると思う。結果として、秩序への適応できるか否かが、社会の格差を表すものとして自分の目に映った。