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健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて 第3章感想

前回の記事で編集で後付けして感想を足す、と書いたけど

時間経ちすぎてるので新規で記事を起こした方が良いかなと思ってこちらを立ち上げ

 

なんと、今回はPCからブログを書いている!

学生時代にmixiとかGREEで日記書いてたとき以来は言い過ぎかもだけど、

PCからブログ記事に近い物を書くのは相当久しぶり。

 

まぁ、前置きはさておき。

3章では、時代の流れとともに価値観が変わっていることを紹介していた

昔は格好良さの象徴だったタバコが今は嫌われ者になっている、とか

健康に意識を向ける人がほとんど居なかった時代から、

「健康でなければいけなくなった」と。

 

実生活を省みると著者の熊代先生の言う通りになっていると感じる

例えば自分はまだ30代だが、健康診断でちょっとした数字の異常があると

会社からは精密検査を受けるよう指示が出る。

自分事以外の社会的な変化では食品の表示が今年の4月から変わっている事にお気づきだろうか

(※もう少しきちんと書くと改正した食品表示法の施工が今年の4月1日からだった)

今まで、成分表示でナトリウムの量を記載していた部分は

「食塩相当量」と記載するよう改められている。

 

コロナのように急に社会情勢が変わることももちろんあるだろうが、

食品表示のように気づいてない人もいるであろう変化も多々あると思う。

そうして真綿で首を絞めるように価値観が変えられて、

いつの間にか「健康でなければいけない」というような価値観に変わっていくのだろう

 

あと、熊代先生は3章で死が身近なものでなくなっている事に言及している。

ちょうど最近twitterで話題になった「7日後に死ぬカニ」にこんな記述があるのが印象に残った。

 

「ほぼ毎日、死に触れている」

note.com

 

まさに、通常は死が身近でないことを端的に表している。

 

死が身近な世界というのは、「良くない」世界のように思える。

だが、実際は臭い物に蓋をしている遠ざけているだけのようにも思ってしまう。

 

 

 死を遠ざけ、健康で無い人間を遠ざけ、幸福で無い人間を遠ざける。

日本では今、生まれる人よりも死ぬ人の方が多い。

健康で無い人間だって少なからずいる。

幸福を感じていない人間だっているだろう。

 

今の社会の不自由さは、人々の価値観や行動の強制もそうだけれど、

見たくない物を隠してしまっているような社会にも感じる。

 

 

 

 

 

 

 

PCから書くと記事の埋め込みとかできて「ブログ」を書いている感じがあって楽しい!