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p-shirokuma.hatenadiary.com

 

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上二つの記事はシロクマ先生の2016年に執筆された記事です。

一つ目の記事はやや過激に、勢いに任せて書いたような物を感じます。

そのせいか、翌日の記事には若干の軌道修正ともとれるような記事。

自分の印象に残っていたのは二つ目の「誕生日は~」の方の記事です。

というのも、自分がtwitterのサブ垢で、「生涯現役」の記事に対して

年寄りを皮肉ったようなtweetをした翌日に「誕生日」の記事を書かれていたため、

自分のtweetへの返信のように思えてしまったからです。

(実際はたまたまかもしれませんが、そう思い込んだ方が

自分にとって幸せだったので、それ以上深く追究していません)

そんなこともあり、約5年経った今でも年齢を重ねることをレベルアップと

例えていたことはなんとなく覚えていました。

 

blog.tinect.jp

 

その上でちょうど今日読んだ記事が5年前の記事と比べて、

年を重ねる事への見方が少し変わっているように思えました。

 

 

以前のシロクマ先生は感性が20代のまま止まってしまっている中年、壮年を

忌避されているというか、「年相応の振る舞いをするべき」、

という考えを持っていたと思います。

少なくとも自分は、シロクマ先生の記事や書籍からそう感じ取りました。

5年前の記事を改めて読み返しても、年を重ねて生き続けることへの尊敬はある一方、

いくら外面やライフスタイルを若作りしたって、また、健康調査で良い成績をおさめているからといって、60歳は60歳、70歳は70歳です。

という記述や

子どもの頃の誕生日にはちょっとしたお祝いがあったので単純に嬉しかったが、思春期を迎える頃には「年を取ってしまう日」として嫌悪していたし、20代後半は「三十路を迎えるまでの地獄のカウントダウン」だった。30代後半? 聞くまでもなかろうよ。

と言った記述もあり、あまり年を重ねること自体に対しては

好印象を抱いているようには感じられませんでした。

若者から老害と呼ばれるような存在になりたくない、という意識でしょうか。

年を取ることで若いときと同じようには趣味を楽しめなくなる、

と言った趣旨の言及もずいぶん昔からされていました。

さすがに記事を発掘する気は起きないのでしませんが、

子供とダライアスを楽しんだ記事などもあり、

年を重ねた自分がでしゃばるのでなく次の世代に繋ぐんだという

意気込みもまたシロクマ先生からは感じていました。

 

一方で、今日掲載されたBook&Appsの記事では

今、私のなかで一番優勢な気持ちは「絶望する暇があるなら、心を、身体を動かせ」だ。

四十代の残りの時間、それと五十代前半の残りの時間を、ラストランのつもりで力いっぱい駆け抜けてみたい。

と、5年前の記事に比べるとなんというか前向きな気持ちを感じます。

バイタリティ溢れる人を羨むのでなく、

シロクマ先生自身もそのバイタリティを見習って目指して向かっていくような気持ちなのだろうと感じました。

シロクマ先生が全力で駆け抜ける一瞬一瞬が素敵な時間であることを祈ります。

 

そんなシロクマ先生を見ながら、自分も全力で一瞬一瞬を駆け抜けるよう

過ごせたら良いな、と感じました。